“いい子症候群”が生み出す見えない生きづらさ

「いい子にしててね」が生きづらさのはじまり?
私は、決して“いい子”ではありませんでした。
幼稚園ではよく泣いていたし、いとこの家に飾ってあった天狗のお面が怖くて大泣き。
しまいには、おじさんが玄関からお面を外す羽目に…。
小学校では体育がまったくできず、給食も好き嫌いが多くて食べ残し・お残り常連。
女の子の友達も少なく、男子と探検隊ごっこをしていたら妹が怪我をして、
「勝手についてきた妹が悪い!」と逆ギレしたこともあります(笑)。
今思えば、かなりの問題児だったと思います。
でも、そんな私がいま“療育”という分野で仕事をし、起業までできた。
「いい子じゃなかったからこそ、見える景色がある」と、今は思うんです。
「いい子にしてね」の裏にあるメッセージ
「いい子にしてね」
「ちゃんとしてね」
「そんなこと言っちゃダメでしょ」
――誰もが一度は言われたことのある言葉かもしれません。
親も先生も、悪気があるわけではありません。
でも、この“いい子でいること”を求められ続けた子どもが、
やがて「自分の気持ちがわからない大人」になってしまうことがあるんです。
教育や療育の現場では最近、「いい子症候群」という言葉がよく使われます。
それは、「人に合わせることが得意だけれど、自分の気持ちを押し殺してしまう子」のこと。
この記事では、その“いい子症候群”の正体と、
そこから抜け出すために大人ができることを考えていきます。
「いい子症候群」とは何か
“いい子症候群”とは、常に周囲の期待に応えようとする傾向のこと。
・怒られないように行動する
・人の顔色を読んで発言する
・頼まれると断れない
・本音より「正しい言葉」を選んで話す
こうした行動は一見、立派に見えます。
でも実際には、「嫌われたくない」「怒られたくない」という不安の裏返し。
“いい子”は大人にとっては扱いやすいけれど、
その分、心の中ではいつも緊張している。
「いい子」のまま大人になった人たち
支援の現場にいると、
“いい子のまま大人になった人”にたくさん出会います。
・仕事でキャパを超えても「大丈夫」と言ってしまう
・人の期待を優先して、自分の気持ちを後回しにする
・「嫌われたくない」から意見を飲み込む
責任感が強くて真面目。
でも、自分が何をしたいのか、だんだんわからなくなってしまう。
そういう人ほど、子どもの頃から“いい子”でいることが安心だったのだと思います。
「いい子」でいれば愛される、という誤解
子どもにとって、“いい子”でいることはサバイバル戦略です。
大人の期待に応えれば、褒められる。
怒られない。
安心できる。
その繰り返しの中で、子どもは
「自分の感情より、人にどう見られるか」を優先するようになります。
特に、発達特性のある子は“空気を読む力”が強い分、
「怒られないように」と先回りして行動してしまう。
それが、“いい子”をさらに強化してしまうんです。
「怒られない子」が抱えるリスク
大人にとって「手がかからない」「静かで助かる」子どもは理想的に見えるかもしれません。
でも、それが実はSOSの場合もあります。
・我慢しすぎて感情を出せない
・嫌なことがあっても言えない
・泣くことや怒ることを“悪いこと”だと思っている
感情を出せないまま育つと、
思春期や社会人になってから“心の詰まり”として表れます。
それは、爆発的な反抗ではなく、静かな不調や無気力として出てくることが多いのです。
“いい子”を作っているのは、社会かもしれない
この“いい子症候群”を作っているのは、
もしかすると大人たち――そして社会全体なのかもしれません。
・「頑張ればできる」と励ます文化
・「失敗は悪」とされる風潮
・「空気を読め」が暗黙のルール
これらはすべて、“いい子”を育てる土壌です。
日本の教育は「協調」を重んじる文化ですが、
その裏で「自分を押し殺すこと」が当たり前になってしまっている。
でも、本当の協調とは「違いを認め合うこと」です。
“同じように振る舞うこと”ではありません。
「いい子」は悪くない。ただ、“いい子だけ”は危うい
“いい子であること”自体は、決して悪くありません。
問題は、「いい子でいることが生き方のすべて」になってしまうことです。
・怒られないように動く
・失敗を避ける
・人に合わせすぎて自分がなくなる
そうやって「いい子」を続けていくと、
いつか「何のために生きているのか」がわからなくなる。
だからこそ、大人は子どもに“いい子でいなくても大丈夫だよ”というメッセージを伝える必要があります。
「わがままになる勇気」を取り戻す
“いい子”の反対は“わるい子”ではありません。
“自分の気持ちを言える子”です。
「いやだ」「できない」「やめたい」と言える勇気。
それを尊重することが、支援の第一歩です。
・できなかった時に「じゃあどうする?」と聞く
・泣いたときに「泣いていいよ」と言う
・怒ったときに「怒ってもいい、でも叩くのはだめね」と伝える
行動を責めず、感情を受け止める。
その積み重ねが、「自分を生きる力」を育てます。
“がんばりすぎる子”をゆるめる関わり
療育や教育の現場では、
「がんばりすぎる子」ほど、支援者が“ブレーキ役”になる必要があります。
「今日はもう終わりにしようか」
「無理しなくていいよ」
「できなくても大丈夫」
そう言われる経験が、子どもの安心を増やしていきます。
支援は“頑張らせること”ではなく、“頑張らなくてもいい時間を作ること”。
“いい子”が映すのは、私たち大人の姿
子どもは、大人を見ています。
そして、大人の“我慢の仕方”を真似します。
大人が「本音を言えない社会」で生きている限り、
子どもが「自分の気持ちを言える社会」は生まれません。
だから、子どもに“もっと自分を出していいよ”と伝える前に、
私たち自身が“自分を出す練習”をしてみる。
それが、社会を変える一番の近道です。
終わりに ― “いい子”じゃなくていい、“自分でいい”
私は、子どものころ“いい子”ではなかった。
泣いたり、騒いだり、怒ったりしてばかり。
でも、振り返ってみると、
あの「問題児だった自分」が、今の仕事の原点になっている気がします。
支援も教育も、「いい子を育てること」ではありません。
“自分を生きられる子”を育てることです。
「いい子じゃなくていい、あなたのままでいい」
――その言葉を、子どもたちにも、大人たちにも伝えていきたい。